トップページ > 歴代報告書トップ |
|
1951年 昭和26年度 | |
(報告No.1に収録)5.25 MB 「昭和26年度山行記録 信州大学文理山岳部」 ・唐松(3/27〜31)清水一治 ・木曽駒(4/13〜14) 上条俊之、小松(義)、木下哲雄 ・岳沢定着:前穂〜奥又、天狗沢〜西穂・ジャンダルム、エクスペリエンス尾根 小松英夫、柴田治、木下哲雄、田中哲 ・美ヶ原新歓山行(6/1) 木下哲雄、柴田治、鎌倉通敏、酒井綏雄、坂田英明 この時点の新人はたった二人だったようだ。 ・北穂小屋荷揚げ(6/28〜7/1) 木下哲雄、柴田治、小松英夫、田中哲、清水一治、松本、有吉、畑中滋光 ・涸沢合宿:雪訓、滝谷第二尾根・4尾根・中央稜、北穂東稜、北尾根〜奥穂、前穂三峰涸沢側フェイスなど(7/18〜27) CL小松英夫、木下哲雄、柴田治、佐野卓立、畑中滋光、柴田満州雄、窪田泰和、矢野功、黒澤明彦、坂田英明、清水一治、百瀬禎二、竹内忠之、降旗満 ・乗鞍ロケ山行(7/31〜8/2) 上条俊之、小松英夫、畑中滋光、木下哲雄、柴田治 映画サークルの手伝いをしたようである。 ・後立縦走(8/6〜8) 清水一治 ・唐松〜祖母谷=白馬(8/19〜22) 清水一治、海川(部外) ・奥又定着:CBAフェース登攀、北壁コンタクトライン、4峰甲南ルートなど(8/14〜22) CL小松英夫、柴田治、木下哲雄、鎌倉通敏、飯田忠重 ・故塚本昌造氏追悼碑建立山行(9/29〜10/2)関係者14名 現場は中央アルプス千畳敷カールの付近と思われる。 ・白馬大池(10/28) 清水一治 ・穂高(11/9〜12) 木下哲雄、佐野卓立 ・大滝山(11/16〜19) 清水一治、坂田英明、川口(部外) ・奥又偵察(11/22〜25) 小松英夫、鎌倉通敏 ・上高地定着(12/25〜1/4) 小松英夫、木下哲雄 計画では穂高の稜線に繰り出すはずだったようだが、両名とも入山中に風邪で体調を崩し、又悪天候のため,霞沢とジャンダルムのピストンにとどめている。 ・五龍〜唐松⇔不帰3峰(12/31〜1/7) 清水一治、ほか2名 ・美ヶ原(1/16〜19) 木下哲雄、畑中滋光、柴田治、青山俊吉 ・唐松(3/6〜13) 小松英夫、畑中滋光、清水一治 不帰岳の踏破を目指したが悪天につかまり連続4沈の末下山。 ・奥又定着:Aフェース、奥穂・明神往復など(3/24〜4/10) 小松英夫、畑中滋光、木下哲雄、柴田満州雄 ・五竜岳(3/28〜31) 清水一治、他1名 |