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1962年 昭和37年度 | |
伊那松本山岳部昭和37年度活動報告 176 KB 伊那松本山岳部の誕生 116 KB 昭和37年度全半期合宿報告 伊那松本山岳部 2.61 MB ・唐沢定着合宿:滝谷第二尾根、奥穂〜北穂縦走、3峰フェイス、ジャンダルム飛騨尾根、雪訓(7/14〜22) CL西郡光昭、小谷雅宣、玉井洋明、砂川裕司、坂谷真人、柴田武明、真野孝一、田中正治、山形文武、笠原正敏、幸田友三、水口嘉久、松井康彦、庄子正純、西坂学、新谷剛、中?康文、林伸豪 ・剣沢定着合宿:真砂沢BC〜源次郎尾根、八峰A・B・Cフェース、チンネ登攀(7/13〜21) CL川崎誠、池田直弥、松尾武久、浦正直、斉田担男、山田和彦、工藤伸樹、神野国秋、大川義博、中村武彦、三谷潤次、駒井浩、麻田善夫、猿橋孝雄 ・奥又白合宿:前穂東壁・北壁の各ルート、5峰リッジ @夏(8/6〜17)CL西郡、山田、木野、葛西、出島、池田、川崎、小谷、小川、新、寺田、松尾、柴田、(以下OB)金松、猿橋、片岡、野口、南、原田 A秋(9/30〜10/7)CL小谷、出島、池田、石井、松尾、草野、柴田、田中、板谷、三谷、小川、西坂、駒井、松井、大川、山形、宮内、玉井 巻末に「信大山岳部数え歌」「信大山岳部奥又ハッタリ節」の歌詞付 新山岳部発足について 1.12 MB 伊那松本山岳部発足にあたって作られた内々に向けた通知書。巻末にOB数名による紀行文を収録。 冬合宿報告書(白馬隊 常念隊)伊那松本山岳部 2.36 MB 横尾〜蝶〜常念〜徳本峠〜明神(12/23〜1/2) CL寺田雅治、川崎誠、後藤紀彦、葛西正美、平邦彦、板谷真人、幸田友三、新谷剛、松井康彦、小川勝、山形文武、三谷潤次、駒井浩、神野国明、中邨康文、宮崎敏孝、西坂学、中村健 ・白馬主稜(12/23〜1/5) CL西郡光昭、出島五郎、小川永行、柴田武明、真野孝一、田中正治、池田直弥、松尾武久、斉田担男、新幸芙、斉田担男、金松直也(OB) 食糧にマカロニ登場。食糧係の反省に、「一人235g。量は十分であった。料理法が人によって色々で又、不慣れのため、味がよくできないものができた。この研究が必要。」とある。マカポテの起源か? 春山合宿報告書 伊那松本山岳部 5.33 MB ・白馬〜鹿島槍(3/9〜3/30) CL出島五郎、川崎誠、後藤紀彦、葛西正美、平邦彦、板谷真人、新谷剛、松井康彦、小川勝、山形文武、駒井浩、中邨康文、宮崎敏孝、西坂学、中村健、西郡光昭、柴田武明、真野孝一、池田直弥、松尾武久、斉田担男、新幸芙、玉井洋明、赤井竜男(農学部助教授) 合宿名は「積雪期栂池〜鹿島槍極地法登行」全体をA〜F隊に分け白馬から五龍の間に前進キャンプを設けながら、最終的に数名のアタック隊員が鹿島槍に立っている。沈殿中は専らポーカーに興じていたようである。 |