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1967年 昭和42年度

オール信大

新人合宿SAC新人合宿報告書 伊那松本、上田、長野山岳部
2.65 MB
徳本峠〜横尾BC:雪訓、涸沢岳、槍ヶ岳(4/29〜5/7)
CL佐々木、藤本、岡村、小井出、猪飼、池内、吉安、新谷、山下、青木、扇能、牧、金子、矢野、山脇、内藤、井上、市野、武藤、吉野、川原、宇都宮、村田、田見、大谷、加藤、寺沢、安間、桜井、服部、藤沢、西山、渡会、井口、木村、遺跡、笠原、難波、大野、渡辺、出町、佐藤、牧田、中田、富岡、森下、陶川
横尾定着涸沢詣での定番の合宿。裏表紙に「新人哀歌」収録。

伊那松本山岳部

報告書 伊那松本山岳部
4.61 MB
・新人合宿(強化合宿) (4/29〜5/7)CL扇能ほか17名
伊那松本も新人合宿期間中に別メニューを用意していた。その記録。

・中ア縦走:将棋駒〜擂古木山(6/7〜12)
CL佐藤利彦、山田正弘、小出元、山下康弘、難波良平、渡辺径

・飯豊・朝日連峰縦走:地蔵岳〜飯豊本山〜北又岳〜北俣川遡行〜地神山(7/20〜8/2)
CL佐藤利彦、田見元行、笠原邦樹、井関芳郎

・北ア縦走:宇奈月〜東又谷〜毛勝谷〜北方稜線〜池の平〜内蔵助平〜黒部ダム水晶〜槍〜奥穂〜サマ天(7/23〜8/4)
CL内藤精ニ、山下義弘、難波良平

・北ア縦走:笠〜水晶〜黒部ダム〜五色が原〜剣〜内蔵助平〜十字峡〜欅平〜白馬(7/25〜8/6)
CL扇能清、小出元、新幸夫、山脇正男、武藤一郎、笠原敬、佐藤正敏

・日高縦走:奥新冠ダム〜幌尻沢〜トッタベツ岳〜エサマオントッタベツ〜カムイエクウツシカウチ岳(8/17〜23)
CL村田譲治、寺沢光男、猪飼啓之

・中ア:空木岳東川本谷(9/28〜10/5)村田譲治、山田正弘、武藤一郎、笠原敬

・αルンゼ奥壁(10/5・6)新谷剛、岡村知彦
信大ルート、上部ダイレクトの開拓記録か?

・北岳バットレス:4尾根主稜、第一尾根(9/29〜10/5)CL内藤、福原、寺沢、猪飼、山下

冬山合宿報告書 針ノ木岳 伊那松本山岳部

3.26 MB

・七倉尾根(A隊)〜七倉岳〜(北葛尾根〜(B隊))北葛岳〜蓮華岳⇔針ノ木岳〜蓮華東尾根(12/26〜1/10)
入山ルートを七倉尾根と北葛尾根の二つに分けている。合流後は蓮華岳から東尾根に下山する隊と針の木へ進む隊とに分かれる。針ノ木岳隊は鹿島槍まで進む計画だったようだが燃料不足のため針ノ木往復後撤退している

長野山岳部・上田山岳部

練成合宿報告書 長野山岳部
1.47 MB
・前穂北尾根、北穂東稜、赤沢山、西穂(4/29〜5/7)CL藤本正二、ほか?名
上述の新人合宿期間中に長野の上級生は練成合宿として別のメニューを組んでいた。その記録。

秋山合宿報告書 長野山岳部
 (10/1〜10/10)
1.70 MB
C.L向後利彦、市野史明、吉野英夫、大谷敬、富岡まき子、栗林良裕、安間孝治、青木郁生、大野照幸
涸沢ベース 滝谷等周辺の岩場

甲南ルートの遭難に関して
596 KB
前穂北尾根四峰遭難・追悼報告書
20 MB

冬山合宿記録 長野山岳部

1.48 MB
・戸隠:奥社〜西岳〜高妻〜乙妻〜乙妻北尾根〜発電所〜笹ヶ峰牧場(12/25〜31)
CL吉安尚夫、市野史朗、向後利彦、青木郁生
乙妻北尾根の踏破にねらいを置いた縦走、本来は逆コースの予定だったらしい。倒木隊のラッセルがひどく途中から沢へ逃げている。

冬山合宿記録 長野山岳部
2.22 MB
・徳本⇔霞沢〜大滝山〜蝶が岳〜常念〜東尾根(12/24〜1/1)CL佐藤邦彦、他6名
一年生中心の冬合宿。メンバーの詳細は不明。

春山合宿報告書 そして山岳部について 長野山岳部
1.02 MB
・ブナ立て尾根〜野口五郎〜双六〜笠が岳〜新穂高(3/22〜30)
CL吉安尚夫、吉野秀雄、大谷敬、大野照幸、小林元紀
天候に恵まれ合宿は滞りなく消化されたようである。報告書の雑感には「登山とは」「山岳部とは」といったテーマついてかかれたものが多い。部の方向性、存在意義について思索を繰り返していたのがうかがえる。

女子山岳部

夏山合宿報告書 女子パーティー (8/13〜8/24)
1.48 MB
西山春代、藤沢通代、富井千代子、渡会意枝、中田法子、牧田あつ子、森下妙子
(残留)陶川絹子、桜井栄子、富岡まき子
白馬岳〜剣岳

春山女子パーティー報告書
664 KB
・横尾〜蝶〜常念〜大滝山(3/29〜4/3)
CL中田紀子、牧田あつ子、森下妙子、新谷剛(オブザーバー)
女子山岳部はこの年から1970年(S45)まで存続する。少数ながらも一歩一歩部を確立していったようである。部員に恵まれなかったのが残念。